春の季語『梅(うめ)』
バラ科サクラ属の落葉高木で中国が原産で、遣唐使が持ち込んだと言われています。日本人には桜より古くから親しまれていて、奈良時代の花見と言えば梅の花のことでした。桜はまだ歴史が新しいんですね。
『白梅(はくばい)』『紅梅(こうばい)』『盆梅(ぼんばい』『梅林(ばいりん)』『梅園(ばいえん)』なども使用します。
季語『梅(うめ)』の俳句と鑑賞
勇気こそ地の塩なれや梅真白 中村草田男
鑑賞:有名な俳句です。この俳句の鑑賞は難しい。というのはいろいろな情報を知ってしまっているからです。なのでそのことをお話したいと思います。
まずこの句は、第二次世界大戦中に中村草田男が学徒出陣の生徒たちに向けて贈った句です。そして「地の塩」とはキリスト教文化におけるとても大事なことを指す言葉です。
つまり、「勇気がとても大事である」と言っているわけです。ですが、敵国の宗教であるキリスト教の言葉を持ち出すこと、それは当時の日本においてタブーであったことは簡単に想像がつきます。でもあえて使った。この俳句自体が「勇気」であったと言えるでしょう。
また、「梅真白」は「うめましろ」と読み俳句ではよく使われる言い方です。ただ、どうして「桜」ではなかったのか…。「同期の桜」という歌もあるように当時の日本では桜が好まれていた筈です。しかし季語に『梅』を使った。
上に書いたようなことから、ここに書かれている「勇気」は自分を犠牲にすることではなく、「生きて帰ってくること。自分の命を大事にすること」を指していたのではないかと言われています。だからこそ散るイメージの桜ではなく、真っ白な梅を季語に添えたのではないかというのが多くの意見となっています。
もちろん、そうではなかった可能性も多いにありますが、中村草田男という俳人の性格もこの意見を裏打ちしているようです。
「勇気こそ地の塩」という言葉が白い梅の花の形に結晶化したようなイメージの名句です。
梅咲いて庭中に青鮫が来ている 金子兜太
鑑賞:「青鮫」は「あおざめ」と読みます。サメのことです。
意味としては、「梅が咲いた。庭中にアオザメが来ている」とそれだけで読んだままの意味です。難解ですね。
金子兜太という俳人は前衛的な俳句で知られていますから、かなり想像力を広げる必要があります。
梅が咲く頃というのはまだ寒い時期ですよね。わたしはそんな時期の早朝の景色なんじゃないかと思いました。
目を覚ましたらまだ薄暗い、なんとなく庭に目をやると夜明けの青い色があたりに満ちていた。まるで深海の青いサメがゆらゆら泳いでいるようだった。
まだ半分夢の中でそんな風に見えた(感じた)のではないでしょうか。早春の寒い朝を思えばわかるような気がくるから不思議です。
梅一輪一輪ほどの暖かさ 嵐雪
鑑賞:有名な一句です。梅が一輪ある。その一輪分だけ暖かくなった。というような意味です。
この句もまた梅の花の時期を想像する必要があります。梅の花の時期は早春でまだまだ寒い時期です。梅の花は言わば春の訪れをひと足早く知らせてくれているわけです。
だからこそ、梅一輪は冬の終わり~暖かさの象徴でもあるわけです。「一輪ほどの」という言い回しが素敵ですね。
また、「一輪一輪」という響きもリンリンと鈴のような心地よい響きを持っています。
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