夏の季語『立夏(りっか)』

夏の季語『立夏(りっか)』

解説
二十四節気の一つで5月6日ごろにあたり、この日からは夏になります。まだまだ夏本番とは言えないですが、俳句の上では夏の季語を使います。夏の気配はあちらこちらにありますので、ゲームのように夏を探していくのも楽しいものです。

『夏立つ(なつたつ)』『夏に入る(なつにいる)』『夏来る(なつきたる)』も同じ意味の季語です。

※太い文字は季語です。

季語『立夏(りっか)』の俳句と鑑賞

おそるべき君等の乳房夏来る 西東三鬼

鑑賞:大俳人の一句です。いろいろな読み方ができる句ですね。

シンプルに考えると夏になって薄着になることで、女性のバストが目立つようになる。そのことを「おそるべき」と表現しているわけです。作者は女性の胸に畏怖すら感じているようです。その大げさな表現が滑稽であり、夏というギラギラした季節にぴったりにも感じます。

また、この句は日本に外国人が目立ち始めた頃にできた句なので、外国人に対する感情である。という捉え方もあるようです。おそらくそれも間違ってはいないのでしょうけれど、時代背景までは俳句一つではわかりませんよね。

それでも、普遍的な何かを感じさせてくれるのは俳句の短さゆえなのでしょう。わたしはそれを俳句の良いところだと思っています。

頭より軽きボールや夏始まる 原田暹

鑑賞:人間の頭は結構重いものです。頭と同じくらいのボールがあって、中は空洞だったのでしょう。頭より軽いと感じたというわけですね。

この句は切れ字の『や』で切れています。『や』の前後で一旦話が途切れているということです。

「お、このボールは頭より軽いな。(改行)夏の始まりだ」

というような感じですね。わたしはビーチボールのようなものを想像しました。頭を空っぽにして遊ぶことの楽しさなんかを感じたわけです。

それとも夏の暑さでボーッとすることを指しているのでしょうか。いろいろな感じ方ができる良い句です。

原色にだんだん近く夏に入る 稲畑汀子

鑑賞:夏というのは原色の季節な気がしますよね。理由はきっといっぱいあるのでしょうけど、空の青もくっきりとしますし、水着やTシャツなどにも原色をよく見る気がします。「目に入るものに段々と原色が増えていく」その様子を「原色にだんだん近く」と表現しています。こうすることで、徐々に夏になっていく感じが出てきますし、夏という季節の迫力も感じられる気がしますね。

発想のきっかけは別になんでもいいんですが、一句にしたときに「なんとなく説得力がある」というのはとても大事なことです。この句もそのように作られたような気がします。頭で考えて作る俳句もありますし、ささいなことから言葉遊びのように生み出される俳句もあります。そのどちらも間違いではありません。

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