春の季語『朧(おぼろ)』

春の季語『朧(おぼろ)』

解説
冬から春になるとみずみずしさでいっぱいになります。もちろん夜も大気に水蒸気を含んでいますので、物がぼんやりと見えたりするわけです。その状態を朧(おぼろ)と言います。

ぼんやりとやわらかく見えるというような意味ですね。朧月もここから来ています。

『草朧(くさおぼろ)』『鐘朧(かねおぼろ)』『影朧(かげおぼろ)』も同様の季語です。

※太い文字は季語です。

季語『朧』の俳句と鑑賞

あけし木戸閉めておぼろにもどしけり 久保田万太郎

鑑賞:木戸というのは木の扉のことです。昔の家ですね。木戸を開けているときは当然外の世界が見えます。閉めると木戸が見えるわけですが、ここがポイントになってきます。

朧(おぼろ)というのは大気中の水蒸気を通して何かがぼんやりと見える状態を言います。つまり、木戸がなければ対象物がないわけですから、朧を認識できないわけです。閉めることで初めて朧を感じることができました。それを「おぼろにもどしけり」と表現したのですね。素晴らしい。

また、「木戸閉めて」の部分だけに漢字が使われて残りは平仮名で書かれています。平仮名というのは漢字よりもやわらかいですからそこにも気を使って作られた俳句なのでしょう。

メロンパン体内すこし朧なり 奥坂まや

鑑賞:まっすぐに読んでみましょう。メロンパンはみなさんご存知だと思います。メロンパンの中身は外側よりもふんわりしていますよね。むしろそこがメロンパンの美味しいところですよね。

そのことを指して「体内すこし朧なり」と言っているのでしょう。

しかし、それだけでしょうか?「体内」と書かれています。それがメロンパンの擬人化だけだとは思われません。わたしはメロンパンを通してはいますが、人間の体内のことも言っているように思います。

人間の体内もおそらく皮膚よりはやわらかく、ふんわりしているでしょう。メロンパンという食べ物を持ってくることによってそのことが連想されませんか?そして体内の連想をグロテスクなものにしていないのは「メロンパン」という可愛い食べ物のおかげでしょう。

このように言葉と言葉が反響し合うのが俳句の醍醐味(だいごみ)です。

また、上に書いたように朧というのは自然現象です。人体にしろメロンパンにしろなにかの中身にはあまり使うものではありません。だからこそ「すこし朧」としているのでしょう。この遠慮がちな季語の使い方も「メロンパン」という言葉があれば許せてしまう気がするから不思議です。

オルガンを漕げば朧のあふれたり 小津夜景

鑑賞:現代俳人の小津夜景の一句です。わたしは大好きで、折りに触れ彼女の句集(フラワーズカンフー)を手に取っています。今もご活躍されていますので、次の句集も楽しみです。

「朧」というものは現象ですからそれ自体が「あふれる」というのは少し変わった表現です。しかし、「オルガンを漕ぐ」という行為に納得させられてしまう。不思議ですよね。「オルガンを漕ぐ」という表現も素敵です。オルガンは「弾く」ではなく「漕ぐ」でも良かったような記憶うっすらとあります。本当は違うのでしょうか?でも、「ミシンを漕ぐ」という表現もあったような…。そんな記憶の曖昧な部分をついてくる表現ですよね。俳句ではなく現代詩のような印象すら受けます。大好きな一句です。

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