冬の季語『マスク』
季語『マスク』の俳句と鑑賞
福耳を引つぱつてゐるマスクかな 下村非文
鑑賞:マスクのゴムは耳に引っ掛けますから耳が気になるのでしょうか。長時間マスクをしなければならない状況であればなおさらですよね。
マスクをすると顔の半分が隠れてしまいます。目や耳に意識がいきますよね。それで普段は気づかなかった相手の福耳にふと気づいたのかもしれません。
しかし、引っ張っている人は誰かということは書かれていません。ですので、福耳を引っ張っている人がマスクをしているように読んでも間違いではありませんね。マスクをしている者同士がふざけているというのもなかなかに面白い光景です。
この句のポイントは耳に注目したこと。それから福耳という有り難そうな言葉と、マスクという病気を連想させる言葉が響き合っているところでしょう。
純白のマスクを楯として会へり 野見山ひふみ
鑑賞:これは古い俳句ですが、新しい感覚の句といえるでしょう。今の若い人たちはオシャレとして(人見知り予防として)マスクを使用したりします。
伊達メガネやサングラスにも似たような効果がありますよね。ちょっとした変装のような。ですが、サングラスだと夏や日中以外は不自然です。マスクなら誰も不思議に思いません。風邪気味かな?花粉症かな?と思われる程度です。
つまり、マスクを盾のようにして人と会ったということです。要するに自らをさらけ出したくないということですね。これを書いている今、新型コロナウイルスの影響でほとんど人がマスクを着用して生活していますが、流行がおさまってもマスクが手放せなくなる人が出てくるような気がします。
マスクして人の背なかが前にある 加倉井秋を
鑑賞:列に並んでいるということでしょう。しかしわざわざこう言うということはかなり近い位置に人がいる、つまり、人混みなのではないでしょうか。
人にうつすにしろ、人からうつされるにしろ、病気というものは嫌なものです。しかし、並ばなければ生活できないということも多くあります。本当は人混みの中になんて誰も出たくはないですから。
さて、例えばこの句の背景を戦後だと考えると塵とホコリ立ち込める景色になりますし、現在ならばドラッグストアや飲食店などとなります。俳句は短く情報が少ないからこそ、時代を超えて景色がたち現れるというわけです。
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