冬の季語『冬ざれ』
昔、冬になることを「冬さる」と言っていたものの活用形「冬されば」の誤用が始まりとされていますが古くから定着している言葉になります。
他の言い方では『冬され』。活用させると『冬ざるる』も季語です。
季語『冬ざれ』の俳句と鑑賞
冬ざれや卵の中の薄あかり 秋山卓三
鑑賞:コントラストが美しい名句ですね。この句の切れは「や」がありますから簡単です。
冬ざれや…(ここが切れ)…卵の中の薄あかり
まず、『冬ざれ』のイメージが来ます。荒涼とした厳しくも寂しい荒野のようなイメージです。その後に続くのが、「卵の中の薄あかり」。卵の中に薄あかりなんてありません。小さな命の喩え(たとえ)でしょうね。卵の中には薄あかりがあるような気がしますから。
あるいは本当に、卵を光に透かしていたのかもしれません。
いずれにしても、『冬ざれ』の季語だからこそ、卵の中の薄あかりの美しさ。命の温かさが際立ってきます。
冬ざるるリボンかければ贈り物 波多野爽波
鑑賞:個人的に大好きな句です。波多野爽波という俳人は、俳句の「多作多捨」を提唱した人です。多作多捨とは、たくさん作ってたくさん捨てること。頭で考えるよりも早く数をこなしていくうちに残しておくべき一句ができるという作り方のことです。
さて、この句も対比の句ですね。冬ざれの光景をまず持ってきて、「リボンかければ贈り物」と続きます。何にリボンをかけたのかは書かれていません。省略されています。しかし、その省略が逆に良いと思いませんか?
どんなものも贈り物にしてしまうのがリボンというものの効果です。わざわざリボンに焦点を当てているので、とびきり高級なものなどではないのでしょう。それだったら、リボンより贈り物の中身を書くはずです。
冬ざれの光景の中だからこそささやかな贈り物が輝いて感じられます。
しかし、どうして『冬ざれや』としなかったのでしょうか。想像ですが、言葉のリズムのような気がします。
冬ざるるの「るる」の部分と「リボン」の「り」がありますから、ら行が並んで「ルルリ」と少し楽しそうな響きがしませんか。細かなところですが、こういう音の響きも大事ですから季語の使い方は面白いです。
そういえば、冬の贈り物と言えばクリスマスですよね。
ささやかな贈り物を抱えた父親が荒野の中を帰宅しているような句にも思えます。
大石や二つに割れて冬ざるゝ 村上鬼城
解説:季語以外に『や』をつけて切れを作っています。
大石や…(ここが切れ)…二つに割れて冬ざるゝ
これは強調の切れですね。大きな石を強調しています。
大きな石がある!!!!!
のような感じです。
さて、その大きな石が割れてしまったことが冬ざれだと言うわけですね。なんとなくわかりますか?割れることのなさそうなものが割れた時、冬ざれを感じたという意味です。感覚的な句ですね。
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