冬の季語『熊』
普段は山奥に住んでいるのですが、食料が不足すると人家を襲うこともあります。食料が不足する冬は特に人家の被害が多かったと言いますから、昔の人にとって熊と言えば冬だったのでしょう。ですから冬の季語になっています。
ちなみに雑食性でなんでも食べるようです。
近年の俳句では野生の熊のことよりも動物園での熊の様子もよく描かれていますから、動物園に行った際にはぜひ観察してみてください。
『熊の子』『熊穴に入る』も季語で、熊穴に入るは冬ごもりのことです。
季語『熊』の俳句と鑑賞
熊の子の飼はれて鉄の鎖舐む 山口誓子
鑑賞:山口誓子の作品です。俳句を都会的な感性で作ったことで有名な人で、この句もそうなっていますね。
「熊の子の」の「の」は現代口語では主語につく「が」のことです。つまり出だしは「熊の子が」になり、「飼はれて」は「飼われて」ですね。「鎖」はそのまま「くさり」と読みます。最後は「舐む」は「なむ」と読んで、「舐める」という意味です。
つまりわかりやすく書くと、「熊の子が飼われていて鉄のクサリを舐める」ということになります。
凶暴な熊も、子供のうちから飼われているわけです。そして遊び道具でしょうか鉄の鎖を舐めていると。しかしどことなく不穏な感じがするのは、血液は鉄に似た味がすると言われていますから、鉄の鎖を舐めるという行為にどこか凶暴性を感じるからでしょう。
羆見て来し夜大きな湯にひとり 本宮銑太郎
鑑賞:ヒグマを見てきた夜に大きなお風呂にひとりポツンと入った。という句です。
ヒグマという巨大な獣を見たことで少し興奮しているのでしょうか。それで気持ちが大きくなっているのかもしれませんね。
熊の前に立つと人間なんて本当に非力です。檻や柵があっても問答無用の迫力にさらされます。大浴場では当然裸ですから無防備です。しかもひとり。ちょっと男としての度胸試しのような気持ちにもなったのかもしれません。
熊を見た夜というのは結構特別な夜だと思います。
熊を見し一度を何度でも話す 正木ゆう子
解説:この句の意味はわかりやすいですね。この句の中の「熊を見た」というのはおそらく野生の熊ではないでしょうか。山歩きなどをしていて熊に遭遇した。そんなことはたった一回だけど何度でも人に話すということです。
おそらくそれほどの衝撃があるということでしょう。野生の熊と出会った時のことを想像してみてください。
そんなことがあったら何度でも話すに決まっています。でもこれってどこか人間らしい行いのような気がしてちょっと可愛らしくもあります。
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