夏の季語『螢(ほたる)』
ホタルにも種類があるのですが、俳句においては主に5月~6月にかけて羽化するゲンジボタルのことを指します。ただ、夏の季語としてのホタルですので、他の種類も俳句にして構いません。
羽化してからのホタルは水だけを飲み、短い成虫期間を終えます。その儚い(はかない)様子に恋の句が多いような印象です。
また、『蛍』という今の漢字でも『螢』という旧字体でもかまいません。個人的には『螢』の方が素敵な気がしますが…。
『源氏蛍(げんじぼたる)』『平家蛍(へいけぼたる)』『恋蛍(こいぼたる)』『蛍火(ほたるび)』『ほうたる』(別の読み方)というのも螢という季語に含まれます。
季語『蛍(ほたる)』の俳句と鑑賞
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子
鑑賞:有名な一句です。
現代の俳人の中で一番好きです。意味はわかりますよね。誰でもわかると思います。しかし、「何を言いたいのかわからない」「そんなのが俳句でいいの?」という意見もよくきかれる俳句でもあります。
ここで大事なことは、何が言いたいのか。どういうことなのか。を想像するのが俳句の楽しみだということです。
蛍というのは儚く(はかなく)美しい生き物ですよね。弱々しいイメージなんです。「じゃんけんで負けたから悲しい蛍に生まれた」ということですよね。「生まれたの」という言い方から女性の可能性が高いんじゃないでしょうか。
そして女性と蛍の儚さ(はかなさ)と言えば恋かもしれません。失恋の俳句かもしれませんね。
また、何に生まれるかなんてたかだかじゃんけんで決まったようなものだ。ということも言えるでしょう。しかし、こうも思いませんか?「蛍に生まれること」は悪いことなのか?そのような問いかけのようにも感じられます。
このようにいくつもの想像が浮かぶような句は素敵な句です。かと言って内容も難しくない。短い俳句という形式だからこそ想像が広がる。こういう句はそうそうできるものではありません。
妻の掌のわれより熱し初蛍 古沢太穂
鑑賞:「初蛍(はつぼたる)」というのはその年初めて見る蛍のことです。「掌」は「て」と読んで「手」のことですが、「てのひら」という意味です。「てのひら」で変換するとこの字が出てくると思います。
さてこの句ですが、妻の手のひらが自分の手のひらより熱かった。そのときにその年最初の蛍を見た。というような意味でしょう。手のひらの温度が伝わっていますから、もしかしたら蛍を捕まえて手渡してくれていたのかもしれません。
俳句において「季語」+「季語と関係ないこと」で作るのが一つの型ですが、上手くその型になっていますね。蛍とは関係はないけれど頭の中で繋がりを補えるという形です。
夫婦の間に存在する蛍。妻の熱い手のひら。艶っぽくて素晴らしい句です。
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