春の季語『しゃぼん玉』
大正時代くらいに春の季語として歳時記に載っているのが確認できるようですが、どうして春の季語なのか不思議なところですね。なんとなく春の雰囲気はありますけど。もしかしたら『ぶらんこ』なんかが春の季語なのと関係しているのかもしれません。
ちなみに「シャボン(jabón)」というのはスペイン語だそうです。
※太い文字は季語です。
季語『しゃぼん玉』の俳句と鑑賞
水金地火木土天海冥石鹸玉 守屋明俊
鑑賞:わかりやすい連想の句です。最後におかれた季語「石鹸玉(しゃぼんだま)」までは惑星の並びを書いているだけなのですが、最後にしゃぼん玉が出てきた時に「なるほど!」となります。
惑星の並びに今できたばかりのしゃぼん玉を加えているわけです。
惑星はず~っと存在するわけですが、しゃぼん玉は儚(はかな)く消えてしまいますよね。でも、そこをあえて並べてみせた。惑星だって宇宙からみたら一瞬です。儚さは一緒なのかもしれませんね。
石鹸玉小さく吹いて皆飛べり 大谷碧雲居
鑑賞:シャボン玉の様子を客観写生しています。大きくできたシャボン玉は飛ばずに落ちてしまうという経験はみなさんにもあると思います。つまりそういう様子を描いているわけですが、
小さく吹いて皆飛べり
と書かれると、「小さなことからコツコツと」とか「庶民の力」のようなものを感じます。あるいは子供の成長を願ったのかもしれません。素敵な句ですね。
しゃぼん玉山手線の映り過ぐ 藤田湘子
鑑賞:有名な俳人である藤田湘子の一句です。これも客観写生ですね。
しゃぼん玉に山手線(電車)が映って過ぎた
というこれだけの意味です。しかし実際にその様子を見たのかと言えばわかりません。物理的には可能でしょうけど、あまりに一瞬な気がするのです。
しかし、このように俳句に書かれると、まるで映画のスローモーションのように頭に映像が浮かびます。別に絶対に起こった事実しか書いてはいけないというわけではありませんからこれはこれで良いのです。
それにしても山手線という語感がまた素敵だと思いませんか?山という漢字が入っていますから春の山なども映り込んでいそうな気がして…。
こちらもどうぞ