春の季語『水温む(みずぬるむ)』

春の季語『水温む(みずぬるむ)』

解説
春になり寒さがましになってくると、当然のように身体で触れる水の温度も柔らかくなります。昔は池や河、沼といったものとも関わりが深かったでしょうからわかりやすい季語だったのでしょう。現在ではアウトドアや農家でもないとそのような自然の水に触れる機会は減りましたが、水道水であっても冬に触れた時の刺すような冷たさがましになったことに気づく筈です。とても体感的な季語です。

『温む水(ぬるむみず)』などとも言います。

季語『水温む(みずぬるむ)』の俳句と鑑賞

水温む主婦のよろこび口に出て 山口波津女

鑑賞:この俳句を読むには切れを理解する必要があります。切れとは例えば文章で言えばそこで『。』がうたれているようなものです。つまり切れの前後で内容が変化します。この句では

水温む…(ここが切れ)…主婦のよろこび口に出て

ちょっと難しいかもしれませんが、慣れてくるとわかるようになります。こういう場合は季語の後ろに切れが入っているケースが多いとだけ覚えていてください。『水温む』のように動詞が入っている季語だと余計にわかりづらいかもしれません

でも、「水温む主婦」というのはちょっと意味がわかりませんよね。それ以外の「主婦のよろこび口に出て」は意味が通ります。こうなっていた場合、「水温む」の後に切れが入っているのだろうと予想して鑑賞してみるといいです。

その後で、そこが切れじゃなかった場合も鑑賞してみましょう。

それからどっちが面白いか。を考えてみましょう。それが俳句の楽しみ方です。俳句は国語のテストではありませんから正解はありません。ただ、正解らしきものがあるだけです。多くの人がしている鑑賞がそれに当たるのでしょう。それは正しいようでいて別に正解とは限りません。自由な感性で楽しみましょう。

さて、この句ですが、

水が温かくなった。昔は今のようにすぐにお湯が出ていませんでした。冬は冷たい水で洗い物などの家事をしなければならなかったのです。水が温かくなるということは主婦の暮らしの中でどれほどの喜びであったか。些細なことを感じていくことはまさに俳句の醍醐味です。

水温む子のとり囲むあたりかな 坂巻純子

鑑賞:これも上の句と同じパターンで切れがあります。

水温む…(ここが切れ)…子のとり囲むあたりかな

意味としては、「水が温かくなってきた。あの子達がとりかこんでいるあたりあの辺りは小さな川(別に池でもいいんですが)だ。何か生き物でもいるのだろうか」。

そんなこと書いてないじゃないかと思をうこともあるかもしれませんが、わたしの頭にはそんな風に映っています。『水温む』は春の季語です。生き物たちも動き出す頃ですね。そうなるとそれを覗きに子どもたちも集まってきますよね。この句はそんなイメージです。

「あたりかな」というやんわりとした表現、自分が見に行っているわけではありません。子どもたちの様子から春の水辺の様子を想像しているだけです。母の視点ですよね。なんとも温かい良い句だと思います。

水温む鯨が海を選んだ日 土肥あき子

鑑賞:「選んだ日」という締めくくりが印象的な一句です。素晴らしいですよね。海水温も上昇し温かくなってきました。

きっと春の海は生き物にとってきっと心地良い温度でしょう。

もし仮に、鯨(クジラ)が海に住むか陸に住むかを決めた日があったとしたら?

そんな想像から生まれた一句です。こんなに心地よい温度の春の日ならクジラは喜んで海に住むことを選んだだろうと言うわけです。

スケールの大きな名句だと思います。

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