良い俳句とは
初心者の方は良い俳句とは何か?という疑問を持つことも多いと思います。
ある意味これは永遠の課題で、答えの出ない疑問です。
しかし、玄人好み、つまり俳句を長くやっている人が好む俳句と、素人(俳句をやっていない人~初心者)が好む俳句とがわかれるのは事実です。
ここで重要なのは俳句に何を求めるか?というところです。
俳句に求めるものってなに?
俳句初心者は俳句の出来不出来なんてわかりません。それで当然です。
そんな中で何を良いと思うか?
おそらく俳句に興味を持った年代によって違うでしょう。
俳句の中に人生の哀愁を求める人。
これは結構多いです。中年以降に俳句を始めた方なんかは特に「生きること」「死ぬこと」なんかが書かれていると弱い。しかしながらこういうタイプの句は俳句をやっている人にはあまり人気がありません。なぜなら、こういうタイプの俳句は割とすぐに出来るからです。
人生訓のようなもの+季語
秋風に揺れられています人生も 松尾多少
とりあえず即興で作ったのですが、これくらい簡単です。しかし俳句をやっているとこういう句に出会う機会が多く、正直うんざりしてしまいます。
日本人は元々人生を語られるのに弱い民族なようで、歌謡曲の中にもJ-POP~演歌までこのようなことが歌われ続けています。
どうせなら
死ぬときは箸置くやうに草の花 小川軽舟
くらいの句に出会いたいものです。
また、中年以降の女性が俳句を始めると、少しドロドロとした恋愛俳句に惹かれがちです。これも一定数人気のあるもので、このような句もよく見られます。さきほども書いたように歌の中でも人気のあるジャンルですね。
その他にも孫や子供を詠んだものも好まれます。
また、強い言葉を意味不明的に羅列した前衛的な俳句も一定数の需要があります。こういった俳句はいわゆる若い人たちに人気です。
文句ばっかり書いてるようですが、別にこれらが悪いと言っているわけではありません。このような俳句を突き詰めることも素晴らしいことですし、日常的にこのような句を詠むということも間違ってはいません。
ただ、結社にしろ賞にしろ、そういうものに出す時にそれらが認められるかどうかというのは別問題です。
俳句の良い悪いは誰が決めるか
自分だけで俳句を楽しむ場合、出来不出来は自分で決めれば良いですし、それも一つのあり方です。しかし、俳句はそもそも「座の文芸」です。
句会、つまり、無記名で句だけを互いに評価→点数の高い句が勝ち→初めて名乗りを上げる。という遊びの中で生まれたものです。
ということはある一定の評価の基準のようなものがみんなの中で共有されており、それに照らされて選ばれるということになります。
ですから、初心者ばかりで集まった句会と、長くやっている人たちで集まった句会では選ばれる句が違ってきます。
で、どちらかと言えば長くやってる人たちの中でやった方が上達することが多いように思います。
客観的に良い句
では、俳句を長くやってる人たちが共有している評価の基準とはなんでしょうか?
俳句は短いですから、言いたいことを言っちゃうとそれ以上の広がりがなくなります。
短いながらも広がっている句が良いわけです。
短いのに無限の広がりを持つからこそ世界最短の詩となりうるわけです。
さきほどわたしが適当に作った句について見てみましょう
秋風に揺れられています人生も 松尾多少
揺られるという言葉はいらないように思えますね。「秋風」の横に置かれた言葉は想像の中でだいたいが揺れているようになるでしょう。わざわざ書かなくても良いことです。
「秋風」「人生」だけだったら、揺れているのか、あるいは耐えているのか、これは読者に任されます。つまり広がりが持てるわけです。わざわざ「揺れている」と書くのは無粋に思えませんか?
また、俳句は物で語るというのもルールのひとつです。物で落とす(オチの意味で)と言っても良いかもしれません。
つまり具体的である方がいいんです。「人生」なんて曖昧なものは想像が難しいですよね。例えばこれが「スーツ」だったらもう少し具体的になってきます。
「秋風」「スーツ」これだけあれば風景が浮かんできそうですよね。
物で語る。具体的であるということは、映像的であるとも言えます。そしてその映像が何かを伝えるわけです。
さきほどの
死ぬときは箸置くやうに草の花 小川軽舟
に関して言えば、箸を置く映像。草の花の映像が浮かびます。外の見えるような場所での会食でしょうか?
そして、この句だけでは「やけくそになって死ぬ時のことを言っているのか」「諦めているのか」「悟りの境地なのか」その辺りは何も語っていません。
先ほど浮かんだ映像と「死ぬ時は」という言葉が頭の中で混じりあって、それぞれの人がそれぞれの感想を持つわけです。
このような句が良いと言われます。
名句とされている句を見てみてください。だいたいがしっかりとした映像を持っていて、かつそれだけでは何も語ってませんから。
まとめ
良い句とは何か。一般論を語ることはできても、結局は人の好みです。それぞれの人に良い句があっていい。別に決まりごとなんてありません。
個人的に好きかどうか、これは主観的な問題です。
句会や賞で勝つ句かどうか、これは客観的な問題になります。
かと言って、客観的に良い句を作り続けていても自分が楽しめないでしょう。主観を含めつつ客観的に見ても良いと言われる句を目指す。
そのせめぎ合いこそが俳句の醍醐味なんです。どちらの視点も重要ですし、主観と客観の入り混じるところが俳句の面白さとも言えるでしょう。
簡単な俳句の作り方はこちら
俳句を最近始めたばかりの年寄りです。毎日の生活日誌のつもりで一日一句作ってブログに発表しています。かって現代俳句協会に投稿していましたが、投句できなくなりました。
藤川様
コメントありがとうございます。俳句って楽しいですよね。わたしは楽しむことが一番だと思っています。それぞれの楽しみ方を見つけてがんばりましょう。わたしも最近サボリ気味なのでコメントをいただけて励みになりました。