冬の季語『大寒』

冬の季語『大寒』

解説
大寒は二十四節気の最後にあたるものです。つまり、大寒の次は立春ということになり、春の始まりです。さて、大寒は寒さが最も厳しくなる頃と言われ、だいたい1月20日になっています。大寒を過ぎれば少しずつ春になっていくそんな季語です。

季語『大寒』の俳句と鑑賞

大寒の埃の如く人死ぬる 高浜虚子

鑑賞:大寒と言えばこの句と言われるほど有名な一句です。

意味としては、「大寒のホコリのように人が死ぬ」

それだけの意味です。難しいことはありません。しかし、色々な「読み」がある句でもあります。ひとつは、句会における「ブラックジョークとして出した句である」というもの。もうひとつは、当時行われていた戦争のことに思いを馳せたものであるというもの。

わたしはそのどちらも正しいんじゃないかと思っています。というのもジョークとして作ったにしても当時の戦争の情勢は頭の片隅にあったでしょうし、戦争で死ぬ人たちのことを指しているにしても、冗談っぽく笑い飛ばそうという意思があったはずです。

そういう深い読みは置いたとしても、寒さで人が死ぬというイメージもありますし、「ホコリのように死ぬ」という言葉と大寒という季語が重なって迫力のある一句になっています。

大寒や転びて諸手つく悲しさ 西東三鬼

鑑賞:大俳人である西東三鬼の一句です。

「大寒や」で「切れ」が入ります。
俳句用語の「切れ」とはいわば改行・改ページくらいの意味になります。しかし、全体の背景として存在しているという感じです。「転(ころ)びて諸手(もろて)つく悲しさ」の背景に大寒があるイメージですね。大寒の日に起こった出来事と考えればわかりやすいかもしれません。

大寒の日にコケた。両手をついた。悲しかった。という感じの意味になるでしょうか。一番寒い日にコケるというのは痛いし恥ずかしいものです。しかし「悲しさ」までいくでしょうか?実はこれは作者が割と歳をとってから作った一句なようです。歳がいくとコケるということにも自分の身体の衰えを知り悲しくもなるのでしょう。

大寒の残る夕日を市の中 石橋秀野

鑑賞:美しい一句ですね。「残る夕日」というのは夕方から夜になる間くらいのものでしょう。「を」となっていますから、「残る夕日の中を」ということでしょう。そんな中を市場にいるということです。

一年で最も寒い日とされる大寒。その日の終わりに市場にいるわけですね。大寒の終わり=立春へ近づくということです。春になると自然が色づいてきますが、人間たちも市場の中で少しづつ活気づいているようなそんなイメージがする句です。

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