冬の季語『セーター』
季語『セーター』の俳句と鑑賞
セーターにもぐり出られぬかもしれぬ 池田澄子
鑑賞:大好きな俳人の一句です。季語『セーター』と言えばわたしはまずこの句を思い出してしまいます。
不思議な句ですよね。意味は簡単です。「セーターを着ているがこのまま出られないかもしれない」ということです。
ここでのポイントはセーターを「着る」でも「被る(かぶる)」でもなく「もぐる」としているところですね。子供の頃、親に服を着せてもらう時に、トンネルみたいだなぁと思ったことがある人は多いんじゃないでしょうか。そのような気分を表現しているのだろうと思います。子供の頃の感性を大人になっても持っているというのはなんと素敵なことだろうと思わされます。
セーターの上に口あり笑ひあり 林翔
鑑賞:セーターの上にあるもの、それは顔です。なんとも当たり前の話ですが、俳句にされてみるとセーターの上に顔が乗っかってるようなイメージになってきます。というのも冬の服というのは夏よりも分厚く人間の体を包んでいますよね。だから、体つきの印象は着ているものの印象になります。だから顔だけが人間を表しているとも言えます。
そしてこの句の素敵なところは「笑ひあり」でしょうか。冬という季節は寒くて気持ちも沈みがちですが、この俳句の人物には笑顔がある。「口あり笑ひあり」と口をクローズアップしているところから大きな笑い声もあったのでしょう。
セーターという季語と相まってほっこりする一句になっています。
セーターを着るとき垂れ目はつきりと 小島健
鑑賞:「軽み」の一句ですね。また、発見の句でもあります。セーターが少しきつかったのでしょう。首を通す時に皮膚が引っ張られ垂れ目になってしまった。外国人より目の細い我々日本人でも引っ張られるとはっきりした目になります。その一瞬を切り取った俳句ですね。上手い。
また、セーターのことを考えると、セーターは洗い方が難しい。失敗すると縮んでしまったりします。そんなわけで、セーターがきついと感じる場合って実は多いのかもしれません。
もちろん、成長期の子供だったり、去年より太ったおじさんだったりするのかもしれませんが…。
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