春の季語『チューリップ』
日本には江戸末期に渡来したと言われています。保育園や幼稚園、その他様々な花壇で見られますし、切り花にでも鑑賞されています。
和名として『鬱金香(うこんこう)』『牡丹百合』がありどれも春の季語です。
季語『チューリップ』の俳句と鑑賞
チューリップ花びら外れかけてをり 波多野爽波
鑑賞:個人的に大好きな波多野爽波の一句です。波多野爽波はたくさん作ることが俳句の上達には一番良い!と言っていたことでも有名です。
この句に関しては誰もがわかるでしょう。「チューリップの花びらが外れかけている」というだけの句です。しかし、面白いと思うのは「外れる」という言葉の使い方です。どこかモノのような扱いをしていますよね。かと言って他に言うとすれば「取れかけている」でしょうか。それにしてもモノのような扱いになってしまいます。
誰もが見ているけれど、誰もが言ってないことというのは俳句になるという典型的な例だと思います。
チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子
鑑賞:チューリップというと幼稚園や保育園といった幼児が連想されますよね。小学校でも低学年。そのイメージとあいまってよくわかる一句になっています。
幼い子どもの笑顔は影も何もなくただただキラキラ輝いています。
チューリップが喜びを持っているのではなく、チューリップのイメージが喜びだけを持っているんですね。このように言い切りの形で断定してしまうのは俳句として効果的ですが、みんなが納得できることでないと上手くいかないので注意しましょう。
それぞれにうかぶ宙ありチューリップ 皆吉爽雨
鑑賞:ちょっとわかりにくい人もいるかもしれません。
誰もが浮かぶ宙をそれぞれ持っている。
という意味です。それは目指すところでもいいですし、ウキウキした気分でもいいです。ともかくそれぞれが持っているということです。
この句のポイントとして、「それぞれにうかぶ宙あり」という曖昧な表現にチューリップという固有名詞の季語をつけたということです。季語も曖昧なものだと全体がぼやけますが、こうすることにより句が引き締まります。
また、「宙(ちゅう)」とチューリップでチューがリフレインされていることもポイントです。
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