春の季語『卒業』
友達や恩師との別れの寂しさ、また、新しい世界への希望。様々なものが入り混じった言葉だと言えるでしょう。大事なことは、そのような寂しさや希望などと言ったイメージは『卒業』という季語に任せるということです。
ヤフー知恵袋に「黒板にサヨナラと書き卒業す」という句が出てきますが、サヨナラは卒業という言葉に含まれるイメージです。俳句は短いですから、同じことを2回言うのはもったいないですね。そうなると黒板も卒業に含まれるような気もしてきます。
卒業という言葉はイメージに引っ張られやすいので気をつけて作りましょう。
『卒業生』『卒業式』『卒業歌』『卒業証書』なども同様の季語です。
季語『卒業』の俳句と鑑賞
おつぱいを三百並べ卒業式 松本てふこ
鑑賞:確かに卒業式にはたくさんの女生徒がいます。ものの見方の問題ですが、このように捉えることも確かに可能ですよね。科学的に言えば正しいとしか言えません。
ですが、今までこのように俳句を作った人はいなかった。おそらく誰もが『卒業』という季語の郷愁のようなものに引っ張られたのでしょう。
まるでモノを見るかのような冷徹な眼差しは思わず作者の学生生活を心配してしまいそうになりますが、この句くらい突き抜けたユーモアのセンスを持っていれば大丈夫だったのでしょうね(知るよしもありませんが)。
また、卒業という言葉から思春期に向かっていく男子生徒の視点なのかな?と思えたりもして楽しい俳句です。
巻き込んで卒業証書はや古ぶ 福永耕二
鑑賞:「古ぶ」は「ふるぶ」と読みます。「古くなる」という意味です。
意味はすぐにおわかりでしょう。卒業証書は貰ったあと、筒に入れるために丸めます。その時すでに古くなったという意味です。
きっとこの句の卒業生の目は遥か未来を見ているのでしょう。今もらった卒業証書はすでに過去のことになっているんでしょうね。
運命は笑ひ待ちをり卒業す 高浜虚子
鑑賞:大俳人である高浜虚子の俳句です。
意味はすぐに理解できると思います。誰にでもわかるように書かれていますから。ただ、中身は少し不気味です。運命というような大きなものが笑いながら待っていたら、それはきっと良いことではないような気がしますから…。
でも、素直に受け取って喜ぶべき句なのかもしれません。
ちょっと悩みますよね。高浜虚子はこのような俳句をたくさん残しています。また技巧的というでもありません。
「あくまで自然体でいいんだよ」大俳人はそんなことを教えてくれているのかもしれません。
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