秋の季語『秋思(しゅうし)』

秋の季語『秋思(しゅうし)』

解説:古来、「もののあれは秋こそまされ」と言い、「心づくしの秋」ともいわれる。事に寄せて、物を見て秋の物悲しさに誘われるのである。人間存在の哀れさ、人生のはかなさ淋しさの物思い。人間心理の陰翳(いんえい)を深めることの多い季節である。

例句:

すうと引く秋思ありけり雨の後

鑑賞文:秋の雨は、一降りごとに冷たく寂しくなるのだなと思うのです。雨が降れば降っただけその寂しさがどんどんと大きくなってきて、私の心を余計に物悲しくさせるのです。

「秋思」といえば

私は秋の内面をえぐり、現す季語と思います。秋はなぜ、儚い寂しい俳句が多いのでしょうか。別に俳句を詠まなくても、そんな感傷に浸る人が多いように思います。

では、秋がなぜそのように感じやすいのかを考えてみました。秋の前は夏。夏の暑さは人の感情を、熱狂的にさせます。海水浴や山登り、キャンプにアウトドア、フェスなどその要素はほかの季節と比べものになりません。自然に親しむ季節でもあり、肌を露出させながら自然に近い姿で人は密接に夏という季節に触れていきます。

秋はどうでしょうか。ひんやりとした冷気が夏の暑さを忘れさせ、無邪気に夏と接していたにもかかわらず、人は一枚、また一枚と服を着て寒さから逃れようとします。それはまるで、秋という季節を拒絶するようでもあります。

やはり、人間は自然を平等に扱いたいのですが、夏と秋ではそのギャップがあまりにも大き過ぎます。それは、夏であっても、食欲の夏、味覚の夏、レジャーの夏、イベント盛りだくさんの夏であるわけで、秋だからといって特別扱いする必要ないわけです。

そういった意味で、心の奥にある思いだけは、秋に申し訳なく思う気持ちが湧き出します。それを表現できるのは言葉であって、詩や俳句などといった、同じような要素でできている音で儚さや寂しさを表現するしかないのだと私は思います。

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