秋の季語『虫』

秋の季語『虫』

解説:虫一般をいうのではなく、秋に鳴く虫のことを季語としての『虫』といいます。雄のみが鳴き、雌をひきつけます。虫はコオロギ科(コオロギ、鈴虫、カネタタキなど)とキリギリス科(キリギリス、馬追、くつわむしなど)とに分かれます。

『虫の声』『虫の闇』『昼の虫』なども同様の季語です。

季語『虫』の俳句と鑑賞

閂をかけて見返る虫の闇 桂信子

鑑賞:「閂」は「かんぬき」と読みます。古い家の門にかける鍵のようなもので、一本の棒を左右の門の内側に通すことで外からは開かなくなるものです。今ではあまり見られませんね。

この句の意味はシンプルです。夜になり、門を閉めて玄関に戻ろうとして、ふと振り返る。そこには何もなく虫の声だけがあった…。というような意味です。ここの「…」が重要なところになります。余韻(よいん)です。俳句は短いので余韻に語らせることが重要です。ということは、俳句の中には感情的や判断を入れない方が良くなります。

さて、『虫の闇』という言葉には少し不気味な感じがしますよね。「闇」が入っているからでしょう。門から玄関に向かって歩きだしてから振り返れば、外に虫の闇が広がっています。門に向かって振り返るとするなら家の庭に虫の闇が広がっています。

家の中か外か、作者はどちらに虫の闇を見たのでしょうか。このような想像も俳句の楽しみ方になります。

窓の燈の草にうつるや虫の声 正岡子規

鑑賞:俳句のお手本のような一句です。「窓の燈」は「まどのひ」と読みます。窓から漏れる光のことですね。その光が外の草を照らした。「窓の燈の」の「の」1つ目の「の」はそのまま「窓の燈」の意味ですが2回めの「の」は「が」の意味です。つまり「窓の燈が草にうつる」ということになります。

窓からの光が草を照らしたことを「草にうつる」と表現しているところが俳句的な美しさを感じます。そして辺りは虫の声に満ちている。

いかにも秋の夜の光景が見えてきます。このように光景が見えてくる俳句は素晴らしい俳句だということです。

『虫』といえば

秋の夜の草むらの主役のようです。秋の深まりとともにその声はより一層大きさを増していきます。
昼も夜も秋はどうして、こんなに鳴く虫が多いのでしょうか。とても神秘的です。
秋は夜が長いので、何の音もないと人間が寂しがるだろうからと、神様がプレゼントしてくれたのでしょうか。

初秋では、秋の便りを運んでくれる使者であり、中秋では、たくさんの音で人の耳を楽しませてくれ、晩秋では、秋の幕を静かに閉じる幕引きのような役割を担っているかのようです。
神様がプレゼントしてくれたBGMは大変多彩で人の耳を飽きさせません。それどころか、子守歌のように単調なリズムもあって、秋の空気のなかに気持ちよい場所を作りだしてゆっくりと眠りの世界へといざなってくれているようにも思うのです。

虫たちは、秋の夜、確実に冷えていく空気のなかで、人間の耳には決して届かない命のやり取りを行いながら、精一杯命を燃やしているようにも感じます。
そしてまた人間たちが寝てしまっても、虫の声は途絶えません。実は目に見えないだけで、まるで生きている人間にだけに美しい音色を聞かせるだけではなくて、死んでしまった人間の魂にまでその音を届けているかのような、妖艶な一幕がそのようなやりとりがされているのかもしれません。

こちらもどうぞ

秋の俳句の作り方

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です