秋の季語『紅葉』

秋の季語『紅葉』

解説:晩秋気温がさがると、落葉樹の葉は赤や黄に彩られる。紅葉というと楓がもっとも一般的だが、漆(うるし)、櫨(はぜ)、銀杏、桜、欅(けやき)、柿をはじめ、種々の木にも言う。黄葉もまた「もみじ」という。鮮やかな紅葉は、昼と夜の温度差のある山国や北国で、八度から五度位で全盛をむかえるといわれる。

かざす手のうら透き通るもみぢかな 大江丸

鑑賞:その手はまだ小さい幼子の手のようです。大人に抱っこされて太陽に向けて一生懸命手をかざしています。すると白い小さな手に透明感を感じ、脈々と流れる血液も透けて見えるようで小さな生命さえ浮き出させるようです。それがまるで紅葉のようで愛しいのです。

『紅葉』といえば

自然が成熟した姿のように見えます。春は美しい花を咲かせて人を喜ばせ、夏は濃い緑を茂らせて人に自然の躍動感を与え、秋はそれらの集大成で、艶やかな姿を見せて人を感動させます。
秋は野山全体が何らかの生物のように色を変えて、生きている存在感のようなものを放っています。
木々の葉の色が赤や黄色になって、野山を艶やかにすることで、そのコントラストを美しく際立たせ、それを観る人間にとても感動を与えます

それはなぜでしょうか。木々は必ず春夏秋冬を通して、どんなことがあろうとも律儀に季節に合わせてその場その場で変化をします。それは花を咲かせたり散らしたり、実をつけたり、葉の色を変えたり、また変えた後で散って、何もまとっていない素の姿をそこにさらしたりと、何かしらの意思を持って人間にアピールしているかのように感じます。
そういった木々の姿を人間は自分の人生と重ね合わせているからこそ、何年でも人は感動するのでしょう。
その中でも秋の紅葉は、あとは散るしかない儚い運命を重く受け止めているかのようです。またその結末を人間も知っているからこそ、見事な色だと感銘を受けることができるのだと思います。まるで木全体でもう一花咲かせているかのようで、改めてその木の存在感を示しているかのようです。

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