秋の季語『木犀(もくせい)または金木犀』

秋の季語『木犀(もくせい)または金木犀』

解説:中国原産、モクセイ科の常緑樹。幹の紋理(もんり(皮))が犀((動物の)サイ)の皮に似ているのでこの名がある。九月から十月にかけて、細かい十字の花をつけ、芳香を放つ。花が橙黄色のものを金木犀、白色を銀木犀、淡黄色を薄黄木犀という。

夜霧とも木犀の香の行方とも 中村汀女

鑑賞:ふと気が付けば、開けていた窓から霧が見えています。それと一緒に金木犀の香りが漂って、開けていた窓から部屋の中へと入ってきています。金木犀の香りの良さに心がうっとりしてとてもいい気持ちになっています。

『木犀』といえば

秋の水先案内人のような存在です。秋は儚さと、寂しさでできているように思いますが、もちろんそれだけではありません。
そんな秋にも明るい一面を見せる、金木犀の、あの甘い独特な香りは、実に心地よく、季節の使者のようです。
この花の特徴は、香りの素晴らしさに対して、それほど目立たない小さな花をつけることです。その季節になると、そこやかしこに金木犀の香りが漂ってきます。そんな優雅な一面を持つ傍ら、雨が降るとその芳香は、惜しむことなく潔く散っていく花とともに消えていきます。

こうなると、人は秋の儚さに支配されるのです。「結局はお前もそうなのか」と、心は嘆くのです。でも、それは、金木犀が悪いわけではありません。では、そう思う心が悪いのでしょうか。そうでもありません。儚いことや悲しいことがあると、全部秋のせいかもしれません。でも、そこまで秋を悪者にするのも、自然に失敬です。

秋であるが故、季節にアクセントができますし、人間に儚いだの悲しいだの、という感情を言わせてくれるのも秋しかいません。誰かが秋にならなくてはならないのです。それは単純に愚痴の聞き役を求めているからかもしれません。
そんな秋のような人が、近くにいればありがたいのですが。話をしていて、心の中に金木犀のように良い香りがすれば、人間的季節の秋はその方かもと私は思うのです。

1.季語:木犀(もくせい)

季語の解説:中国原産、モクセイ科の常緑樹。幹の紋理(もんり(皮))が犀((動物の)サイ)の皮に似ているのでこの名がある。九月から十月にかけて、細かい十字の花をつけ、芳香を放つ。花が橙黄色のものを金木犀、白色を銀木犀、淡黄色を薄黄木犀という。

2.句:夜霧とも 木犀の香の 行方とも(中村汀女)
鑑賞文:ふと気が付けば、開けていた窓から霧が見えています。それと一緒に金木犀の香りが漂って、開けていた窓から部屋の中へと入ってきています。金木犀の香りの良さに心がうっとりしてとてもいい気持ちになっています。

3.「木犀」といえば
秋の水先案内人のような存在です。秋は儚さと、寂しさでできているように思いますが、もちろんそれだけではありません。
そんな秋にも明るい一面を見せる、金木犀の、あの甘い独特な香りは、実に心地よく、季節の使者のようです。
この花の特徴は、香りの素晴らしさに対して、それほど目立たない小さな花をつけることです。その季節になると、そこやかしこに金木犀の香りが漂ってきます。そんな優雅な一面を持つ傍ら、雨が降るとその芳香は、惜しむことなく潔く散っていく花とともに消えていきます。

こうなると、人は秋の儚さに支配されるのです。「結局はお前もそうなのか」と、心は嘆くのです。でも、それは、金木犀が悪いわけではありません。では、そう思う心が悪いのでしょうか。そうでもありません。儚いことや悲しいことがあると、全部秋のせいかもしれません。でも、そこまで秋を悪者にするのも、自然に失敬です。

秋であるが故、季節にアクセントができますし、人間に儚いだの悲しいだの、という感情を言わせてくれるのも秋しかいません。誰かが秋にならなくてはならないのです。それは単純に愚痴の聞き役を求めているからかもしれません。
そんな秋のような人が、近くにいればありがたいのですが。話をしていて、心の中に金木犀のように良い香りがすれば、人間的季節の秋はその方かもと私は思うのです。

こちらもどうぞ

秋の俳句の作り方

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です