秋の季語『鵙(もず)または百舌鳥』
解説:雀よりやや大きめで、体は褐灰色で見栄えはしないが、声高にキイキイと騒ぎ立て、存在感がある。鋭いくちばしをもち、小鳥を襲ったり、蛙やトカゲを捕えて食べたりする。獲物を木の枝に刺して置くのが鵙の贄(にえ)である。
われありと思ふ鵙啼き過ぐるたび(山口誓子)
鑑賞文:鵙がキイキイといらだって啼いています。いろいろと考え事をしている、自分の存在が鵙の声を聴くたび、胸に刻まれているようだと感じます。
「鵙」といえば
私は、鳥でありながら、実に人間臭さのある存在ではないかと思います。
鵙はキイキイと啼いて、自己の存在感を示す鳥です。これを拡大解釈して、人間に置き換えて考えた場合、自己アピールを得意とする性格の人だと思います。
ほとんどの人間は、なかなか本当の自分を出すことはしません。しないのではなくて、できないと
思います。でも本来、人間は本当の自分を認めてもらいたいわけで、ただ恥ずかしいから出さないだけです。それができる鵙を私はうらやましく思います。
鵙が持つ人間臭さのもう一つは、縄張り争いをするという点があります。人間で言えばパーソナルスペースを持っているということでしょう。ここは自分しか許さない感情領域です。でもここだけを固執してしまえば、やがて皆から立ち去られ、最後は独りぼっちになるということです。実は鵙はその王道を行く鳥で、他者を寄せ付けず一人で生きる孤独な生き物なのです。
そう考えると鵙という存在は、私から見ると、かなり損をしている生き方のように見えます。
しかし、私を含めて現代人も、隣がどんな人か興味を持たずに生きていくような存在であり、それが自分のスペースは固辞しながら強がっている姿だとすれば、その生き方は鵙と同じようだと、私には思えるのです。
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