秋の季語『つくつく法師(つくつくぼうし)』
蝉の鳴き声の中でも特に音楽的であり、秋を代表する蝉でしょう。
『法師蝉(ほうしぜみ)』『つくつくし』などと呼ばれることもあります。
※太字は全て季語です。
季語『つくつく法師(つくつくぼうし)』の俳句と鑑賞
よし分かった君はつくつく法師である 池田澄子
鑑賞:池田澄子という俳人はわたしは大好きで「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」という俳句は今の教科書に載っているほど有名です。難しい表現を避けているのに詩的で、そして俳句であるという素晴らしい作風の俳人です。
さて、この句、意味はすぐにわかりますね。つくつく法師に「君はつくつく法師だ。認めるよ」と語りかけているだけです。それだけなのですが、つくつく法師という蝉の鳴き声を思い出してください。妙に耳に残りますよね。蝉ですから当然何度も繰り返し鳴きます。
家事をしながらそれを聞いていて、ちょっとうんざりしたのでしょうか。「もうわかったから、君は確かにつくつく法師だよ」と漏らしたような感じです。うんざりと書きましたが、ちょっと微笑みながらうんざりしているような感じです。主婦の日常が見えてきそうに思いませんか?
なきやみてなほ天を占む法師蝉 山口誓子
鑑賞:現代語に直してみましょう。現代語に直すと「鳴き止みてなお天を占める法師蝉」となります。
上の句のときにも書きましたが、つくつく法師は繰り返し繰り返し鳴きます。そして、突然鳴き止む。
なんとなく聞いていたけども、まだ続きがあるんじゃないか?また鳴き出すんじゃないか?
そんな気持ちで空を見ているのでしょう。それを「なほ天を占む」と書いたわけです。この俳句の中では鳴き止んだはずのつくつく法師の声が耳鳴りとして読者にも聞こえてきそうですね。
法師蝉煮炊といふも二人きり 富安風生
解説:この句を読むには切れの見極めが大事です。俳句ではつながって書かれていますが、
法師蝉…煮炊(にたき)といふも二人きり
「…」のところに切れがあります。切れは言わば段落がかわるくらいの意味がありますから、意味を書くなら
法師蝉が鳴いている。
煮炊きをすると言ってもたった二人分だよなぁ。
というような感じです。「煮炊き」というと少なくとも一家族分という感じがしますが、今ではもうたった二人分だというわけですね。ここで法師蝉という季語が効いてきます。法師蝉は夏の終りから秋の初めにかけて出てきます。夏は生命があふれていますが、秋から冬になるにつれ生命はじょじょに枯れていきますよね。なので、この家族も子供がひとり立ちして段々寂しくなってくるという状況なのでしょう。
このように季語で全体を包み込むように雰囲気を決めるということも俳句ではよくある手法です。
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