秋の季語『露』

秋の季語『露』

季語の解説:早朝、また夜分に冷え込んでくると、地表や草木の葉、あるいは岩石などに、空気中の水蒸気が水滴となってつく。これが露である。

露の世は露の世ながらさりながら(小林一茶)

鑑賞文:昔から、この世は露のような世界でいつかは消えてなくなると思ってわかっていても、本当に消えてしまったら、やはりこの世に対する未練や悲しみが押し寄せてくるものだと思います。

金剛の露ひとつぶや石の上(川端茅舎)

鑑賞文:これは超有名な句です。川端茅舎(かわばたぼうしゃ)は有名な俳人ですね。
この句はただ、石の上の露が金剛(ダイアモンド)のようであったというところです。ただ、ダイアモンドであるという以外には何も言ってません。それだけに、露の一粒が目の前にクローズアップされて立ち上がるのです。俳句とは大きなことを言わないことで、大きなものを想像させるものなのです。

「露」といえば

私は、儚さの代表でもあり、ある種の希望への選択だと思います。
誰もが露は確かに存在していても、いつかは絶対に消えてしまうものだと思っているはずです。
でも、それは人の感情であり、本当に露は消えてはいますが、無くなってはいないということです。
どこか頓珍漢のようなことを言っていますが、現代の科学の世界では、液体が気体へと変化し空気と一体となっただけのことなのです。
だからと言って、科学的に証明できたとしても心の世界ではその科学は通用しません。
かの豊臣秀吉が詠んだとされる辞世の句に「露と落ち露と消えにし我が身かな」というものがあります。
人は露と聞くとどこか儚い思いをします。
ですが、私も人はこの世で死んだとしても魂は存在して、未来にはそのような姿を変えて露のように自由に大自然となっていくのではないかと思うのです。
露の姿はこの世では生であり、やがて別の世界にいって、より自由になるために形をかえているだけで、人もまたこの世で生きるために今のような姿をしているだけなのです。
確かに今現在を肯定して生きていけば、未来の死は否定的で悲しみしか残りません。
いくら理屈をこねまわしても、人には感情があるので、そう簡単には割り切れるものでもないのも承知しています。
でも、露が見せる姿は生と死との繰り返しであって、人にもそれが存在するとその過程を見せて、人にそれを伝える使命をもっているのだと私は思うのです。

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