秋の季語『花野』

秋の季語『花野』

解説
秋の草花がたくさんある野原のことです。秋と言っても俳句的にはお盆の頃からを指しますので、まだ温かい時期も秋の内です。ですから、花がいっぱい咲いていても不思議ではありません。しかし、コスモスなどの群生を想像してもらうのが一番わかりやすいでしょう。コスモスは美しいですが夕暮れ近くになると肌寒くなり寂しいくらいの透明感があります。

『花野原(はなのはら)』『花野道(はなのみち)』『花野風(はなのかぜ)』『大花野(おおはなの)』なども季語になります。

※太字は全て季語です。

季語『花野』の俳句と鑑賞

うしろより声あるごとし花野ゆく 森澄雄

鑑賞:大俳人の森澄雄の一句です。美しい句ですね。

意味は「うしろから声がしているようだ。花野を歩いてゆく。」というようなところでしょうか。これは自分のことでもいいですし、遠くの人を見ているとしてもいい。どちらでも自由に味わっていいでしょう。だって書かれていませんから。

問題は「うしろからの声」です。一体どんなことを言っているのでしょうか。ます、その声が「歩け歩け」と言っているパターンが考えられます。そうすると花野をゆく人は、自分の意思でなく誰かに言われて歩いているようだという意味になります。もうひとつは「〇〇さん」というように名前を呼ばれているパターン。この場合は、後ろを振り返りたいと思いながら歩いている絵が浮かんできます。

前者ではふわふわと幽霊のように歩く姿が、後者では何かを振り切りように歩く姿が浮かんできますが、どちらにしても花野を歩く姿が見えてくるようですし、美しい映像です。短い俳句という形式の中で見事な描写をしていますね。

※個人的には前者の方を想像しています。

みづうみの水のつめたき花野かな 日野草城

鑑賞:「みづうみ」は「湖(みずうみ)」のことです。古い書き方です。意味はシンプルで花野の中に湖があったのでしょう。その水が冷たかったと。ただそれだけのシンプルな一句です。

しかしながら、『花野』という季語の意味にもあるように、花の美しさの透明感はある種冷たさすら感じるものかもしれません。秋という季節も温かさと寒さが同居しています。一句の中にそれが表されていてしかも平易な言葉で書かれている。名句だと思います。

ひらがなの名のひととゆく花野かな 松本てふこ

大好きな若手俳人、松本てふこの一句です。名前が平仮名の人というのはなんとなく柔らかいイメージがありますよね。そんな人と花野を歩いている。

その人の具体的なイメージはすべて「ひらがなの名」という言葉に閉じ込めてられています。それだけで十分な気がします。また逆にそれだけしか語られていないので、実態がつかめないような曖昧な感じもします。それは花野という天国のような場所を歩いているからこそなのかもしれません。

またわたしは「花野ゆく」というような表現も素敵だなと思っていて、花野をゆくというだけで日常から少し離れたところを歩いているような印象を受けるのです。

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